La Posada Historic District ; Winslow Arizona

<<La Posada Historic District>>
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La Posada Hotel がオープンした 1930 年からあり、1992 年に 11 エーカーが Historic District として登録された。
La Posada Hotel & Garden だけでなく Winslow Santa Fe 駅が含まれる。
地区には Mission Revival と Spanish Colonial Revival の建築様式の建築基準でリストされている 3 軒の寄贈されたビル、1 箇所の場所、他の寄贈の建物が立つ。


<<La Posada Harvey House Hotel>>
303 E 2nd St, Winslow, AZ ( Winslow に関してはこちら )
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2016年11月撮影

名前は Spain 語の “ The Inn “ の意味で、
11 エーカーの土地の La Posada Historic District の中心的役割を果たしている。
National Historic Landmark の “ 最後の偉大な鉄道ホテル “ と呼ばれ、
Arizona で最も美しい財産で、訪れる人々にユニークな文化的経験を提供してくれている。

1930 年 5 月 15 日有名な Fred Harvey House and Restaurant チェーンの最後のホテルとして建てられた。
当時 Winslow はすぐに New Mexico の Santa Fe のようになると期待され、
Santa Fe 鉄道の本部もあったので、この地が選ばれたのだった。


Hotel の入り口
2016年11月撮影

設計は有名な Grand Canyon の女性建築家 Mary Colter で、
ホテル内部は Native American と地元の Spain 文化の両面を活かす彼女のビジョンが具体化され、
細部にまでこだわって作られていた。
1929 年の大恐慌のすぐ後のオープンだったが、経営はどうにか成り立ち、
国が不況から脱した時、ホテルは鉄道のお客と多くの Route 66 の旅人達に人気となった。
当時街には沢山のビジネスが立ち上がり、
始めは多くの西部開拓の入植者達、そして戦後には旅人達が訪れ繁栄した。
しかし 1957 年頃には鉄道の旅は衰退し、ホテルもクローズ。
2 年後には質の高い家具の全てはオークションで売られ、
1960 年代の始めには建物の中は空っぽになり、Santa Fe 鉄道のオフィスになった。

La Posada だけが其の時代の影響を受けたビジネスではなく、
1960 年代から少し筒衰退し始め、
1970 年代に I-40 でバイパス化された時に、街の観光事業も他のビジネスも終わってしまった。


the Old Trails Museum に展示されている 1930 年の La Posada の写真
2016年11月撮影



2015年6月撮影



2015年6月撮影

1994 年に鉄道が街の再生計画として La Posada を取り壊す計画を発表したが、街は団結して反対。
再生懸案のリストの中でまず彼らがやったことはこの古いホテルを救うことだった。
Allan Affeldt と妻のアーテイスト Tina Mion はホテルに関しての聞き取り調査をし、交渉を重ね、
彼らの強い信念で Colter の独特のコンセプトを貫いた La Posada の再建を宣言し、1997 年に買い取った。
改装はすぐに始まり、Affeldt の努力で、
地域の人々のサポート、ホテルのお客様、才能あるアーテイストや工芸家のチームのお陰で、
実質的に今日の歴史あるホテルとレストランとして再オープン。
今も建物と歴史ある庭園のさらなる改修は続いている。

8 エーカー ( 3.2 ha ) あるホテルの駐車場と敷地は、
Winslow Arts Trust ( WAT ) による彫刻の庭、と蘭、ポタジェガーデンに変えられた。
ホテルのレストラン the Turquoise Room は、
2009 年に Conde Naste による米国内の TOP 3 のレストランの一つに位置づけされており、
Route 66 の新しい世代の旅人達をもてなす砂漠の中のオアシスとして今も健在。
The National Register of Historic Places に指定されている。

ホテルの中には the Tina Mion Museum があり、
Mion のコンテンポラリーアートを展示している。
又 Lost Dogs のアルバム “ Old Angel “の中の曲 “ Goodbye Winslow “ の中に歌われている。

La Posada Hotel は一人の建築家の想像の賜である。
La Posada の複合施設を設計するために、
Mary Colter は 1800 年代の始めの Spain の牧場として La Posada をイメージした。
ここはリッチな Spain のドンが住んでいて、
彼とその家族は厳しい時代が訪れた時、住居を家具付きのホテルと敷地へと改修した。
複合施設は変化し、何世代をも通して増築された。
Mary は聖者にふさわしい場所として、
赤いテラコッタの屋根、床は flagstone、露出した天井の梁、木のシャッターと鉄の格子のついた窓の adobe の壁の Mission Revival の建物を設計した。










<<Mary Colter>>
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Mary の建築物に関してはこちら
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Mary Elizabeth Jane Colter ( 1869 年 4 月 4 日 〜 1958 年 1 月 8 日 ) は America の建築家でデザイナー。
彼女は当時では非常に数少ないアメリカの女性建築家の一人で、
多くのランドマークとなる建物、Fred Harvey Company と Santa Fe Railroad の為の空間、特に Grand Canyon National Park 等を設計した。
彼女の建築は、
Spanish Colonial と Native American のモチーフと南西部中で人気となった錆のある Mission Revivalとをミックスさせたスタイルを作るのに大きな影響を与えた。
彼女が設計した Grand Canyon National Park に有名な 4 つの建物がある。
これに関してはこちらも。




<<Tina Mion>>
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Tina Mion ( 1960 年 8 月 26 日生 ) は America のコンテンポラリーアーテイストで、
油絵とパステル画を描いている。

夫と共に La Posada のオーナーで、Winslow に住んでおり、彼女の作品の多くは地元のホテルに展示されている。
Mion は Washington D.C. で生まれ、Museum に通いながら育った。
彼女は New Hampshire の画家の Sidney Willis の元で修行し、アートスクールに入学したが、
中退してスリランカやインドに旅をした。
ソビエト連邦の Odessa から Kiev への Allan Affeldt が組織した Peace Walk で 1988 年に Allan と出会った。
1990 年代末 Mion のインスピレーションとなる Homolovi State Park のオープンスペースが気に入ったので、
彼らは Irvine California から夫が卒業した Winslow Arizona へと移り住んだ。
二人は Winslow の La Posada Historic District の荒廃した La Posada を購入、改修してオープン。
Mion の作品の Museum が 2011 年 4 月にホテルの中にオープンした。
ちなみに 2005 年 Affeldt は Winslow の市長となっている。



Mion の 1996 年の “ Virtual Election “ プロジェクトは、
42 人の America の大統領と Website の投票で選ばれた数人の他の有名人との 52 の肖像画のセットからなる。
そのシリーズはいくつかの大統領図書館でも見られるし、彼女は後に大統領夫人の他のシリーズを加えている。
大統領夫人のシリーズからの 1997 年の絵は、
銃弾で 2 つにカットされたカード ( ハートのキング ) を持っている Jacqueline Kennedy Onassis で、
この giclee プリントは Nelson-Atkins Museum of Art のコレクションとなっている。
2007 年に宇宙飛行士 Neil Armstrong を描いた作品は、
the Smithsonian’s National Portrait Gallery の永久コレクションとなり、
更に幾つかの作品は Smithsonian の近代展示で見れる。
Mion の制作過程は 2012 年の Sedona Film Festival と the Newport Beach Film Festival で上映された Tina Mion
の短編映画 “ Behind the Studio Door ( 2011 年、David Herzberg ) に描かれている。







<<La Posada Art Exhibition>>
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2015年6月撮影



ホテル内に Tina の絵が展示されている部屋。
2013年9月撮影


<<World’s Largest Navajo Rug>>
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Rittenhouse は 1946 年のガイドブックの中で、
Hubbell Motor Co. のショールームに世界最大の Navajo のラグがある、と書いている。
大きさは 21 feet X 37 feet ( 6.4 m X 11.2 m ) で 3 年 3 ヶ月かけて織られ、重さは 240 Ibs ( 109 kg )。
これを 2012 年に La Posada Hotel の the Winslow Arts Trust が購入。
ラグは Lorenzo Hubbell Jr. が、
彼の Trading Post のビジネスの為に 1932 年に織らせ、委託させていたものだった。
最大の Navajo の織り機で織られた縫い目の無いラグは、$ 100 万の価値があり、
其のデザインは祖先の器から取られたものだった。
The Arts Trust は 2016 年夏に the Route 66 Art Museum をオープンし展示する計画をしている。







<<Winslow Station>>
501 East Second Street Winslow, AZ
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Hotel の裏には沢山の線路が。
2013年9月撮影

Chicago と Los Angeles 間を走る Amtrak の Southwest Chief が毎日通過する。
The Santa Fe Depot と La Posada Hotel Harvey House が、
1992 年に確立された the La Posada Historic District の中心として存在する。

The Santa Fe Railway は 1929 年に出来、隣接した La Posada Hotel & Gardens が 1930 年に完成した。
両方を設計したのは有名な建築家 Mary Jane Colter で、
彼女は Grand Canyon の South Rim や New Mexico の他の建物を含む色々な有名な Fred Harvey Company の建物の建築家だった。
彼女は La Posada Hotel と駅を統一した建物と考え、
Mission Revival と Spanish Colonial Revival 建築様式の要素を組み込んだ。
ホテルの建物には 2 つの入口があり、南側の入口は駅のプラットフォームに、
北側のは地元の人達と U.S.Route 66 の旅人達の為に通りにある。
La Posada は Fred Harvey と the Atchison, Topeka and Santa Fe Railway の間のコラボの中で、
アメリカ南西部の州を通る一連のホテルと駅の複合の最後の一つである。


The Santa Fe Depot は今 Winslow Amtrak station として利用されている。
Winslow の文化と歴史ある Arizona の U.S. Route 66 corridor を祝って、
the Route 66 Art Museum をオープンする為に the Winslow Arts Trust により 2016 年 6 月駅の改修作業が始まった。




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Lorenzo Hubbell Trading Post ; Winslow Arizona

<<Lorenzo Hubbell Trading Post>>
523 W 2nd St Winslow, Arizona ( Winslow に関してはこちら )
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街の歴史的な中心部の西側にある Hubbell とその家族が所有していた約 30 軒の Trading Post の一つで、
2 軒の小売店の 1 軒 ( もう 1 軒は Gallup NM )。
1917 年に Hubert & Richardson が建て、
1921 年に Don Lorenzo Hubbell ( John Lorenzo Hubbell ) が買い、
Navajo との交易のための Trading Post とした。
2002 年に改修され、Winslow Historic District の西の玄関になっている。


2016年11月撮影



2016年11月撮影

Lorenzo Hubbell ( 1853 年 〜 1930 年 ) は 1878 年に Navajo との交易を始め、
1880 年代に Arizona と New Mexico のあちこちに Navajo Trading Post を作り始めた。
10 年後 Navajo が Bosque Redondo, Ft. Sumner. NM への亡命から故郷へと戻ることを許され、
4 年間 Bosque Redondo で過ごしている間、
多くの新しいアイテムを作り、
Hubbell のようなトレーダー達は、彼らが戻ってきた時、これらのアイテムで交易した。

特に Hubbell は Navajo の素晴らしいラグ織りと銀細工のクラフトマンシップで作られた工芸品で、
彼らが収益をあげるようにプロモートした。
そして彼は Trading Post だけでなく、貨車の路線、
そして二人の息子と共に、
24 の Trading Post、Winslow の小売店舗、Gallup NM 近くの農場、Farminton NM 近くのりんご農場、牧場、
その他輸送や郵便事業をも含む大流通帝国 Lorenz Hubbell Company を 作り上げ、
白人居住者と Navajo 間の架け橋役もしていた。


歴史的な資料も沢山展示。
2016年11月撮影



屋内の天井や証明は昔のまま。
2016年11月撮影



昔の看板の展示
2016年11月撮影

会社は Winslow で鍛冶屋とショップをもオープンしていたが、全てが崩壊し、1954 年に破産。
それでも Hubbell 家は 1967 年に the National Park Service へ売るまで運営した。
Trading Post は今
the National Park Service の非営利組織 Western National Parks Association により運営されており、
商工会議所のオフィス、Visitor Center にもなっているが、
Hubbell 家が始めた交易の伝統を続けており、The National register of Historic Places に指定されている。


地下へと荷物を降ろすリフトが。
2016年11月撮影



壁に描かれたデザインは Indian のラグ。
2016年11月撮影





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Winslow Commercial Historic District ; Winslow Arizona

<<Winslow Commercial Historic District>>
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the National Register of Historic Places に指定。


<<Standing on the Corner Park>>
Old Hwy 66 & N Kinsley Ave, Winslow, AZ
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1999 年に出来た Jackson Brown と Glenn Frey が作詞作曲し、
Eagles がレコード化した歌 “ Take It Easy “ ( Jackson Browne、Delbert Mcclinton、Glenn Lewis Frey 作詞作曲によるヒット曲で、6 部門のグラミー賞受賞、5 個の American Music Awards 受賞 )の歌詞の中に出てくる情景を再現し、記念した公立公園。
歌には “ Well, I’m a standing on the corner in Winslow, Arizona and such a fine sight to see, It’s a girl, my Lord, in a flatbed Ford slowin’ down to take a look at me. “ と歌う一節があり、
公園は John Pugh が描いただまし絵の壁画のある 2 階建てと、
Ron Adamson 作成のコーナーに立つギターを持つ等身大のブロンズ像を含み、
窓のある煉瓦の壁に囲まれていて、
1 階にはそれぞれの煉瓦に寄贈者達の名前があり、Winslow に対する彼らの愛情が現れている。


十字路の中心部には大きな Route 66 のシールドが描かれている。
2016年11月撮影



2015年6月撮影



2015年6月撮影

1997 年 La Posada Hotel が改装されて再オープンし、
the National Register of Historic Places で La Posada Historic Distorict として指定され、
街おこしの第一歩となった。
The Standin’ on the Corner 財団が Winslow 再生の為に作られ、観光業を起こすことを決定。
財団は Eagles で有名になった ” Take It Easy “ の歌で歌われる街として、
1999 年 9 月 10 日と 11 日公園は一般開放された。
2006 年に上映されたアニメ映画 “ Cars “ の上映は、
街の Route 66 のメインストリートのビジネスを救う為に一新。
Winslow 自体は映画内に出てくることはなかったが、
映画の為のリサーチの一部として Diane Patterson のお土産屋と La Posada Hotel の両方を映画のクレジットにリストした。
2004 年 10 月 18 日 the Standin’ on the Corner Park で火事が起こり、
歴史ある J.C.Penny-Pasco Building は焼け落ち、
建物の壁 1 枚は残ったが、今はそれが背景の様になっている。


火事で焼け落ち、
壁画のある壁だけが残っていて、その裏側はこんな。
2013年9月撮影

2011 年に Winslow のダウンタウンの観光はブームとなり、
又 2016 年 9 月、年頭に亡くなった Glenn Frey に似た像が公園内に置かれた。


2016 年には像が 2 体になった。
2016年11月撮影

火事の後、街が資産を買い、Route 66 のランドマークとして場所を広げる計画の小さな公園を作った。
Winslow は毎年 9 月末にカントリー・ロックバンドや Eagles のコピーバンドが出演する恒例の ” Standin’ on the Corner Street Festival “ を催しているし、
毎年コーナーに 10 万人の人達が立ち寄る。

像の後ろの壁画は赤いレンガの壁に描かれており、
Ford のフラットピックアップを運転しているブロンドの女性を描いている。
2 階の最初の窓の下枠に鷲が留まっており、3 つ目の窓にはカップルがいる。
道には巨大な Route 66 のシールドが描かれており、Route 66 ファンにとっては人気の被写体となっている。


2016年11月撮影





“ Take it Easy “ by Eagles。



<<Standin on the Corner Rt 66 Gift Shop>>
108 Old Hwy 66, Winslow, AZ
Standin on the Corner Park の十字路の角にある人気おみやげショップ


2013年9月撮影


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Winslow ; Arizona

<<<Winslow>>>
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Courtesy of Kathy Weiser,Legends of America.
http://www.legendsofamerica.com/66-main.html



1921 年の Winslow
Courtesy of Kathy Weiser,Legends of America.
http://www.legendsofamerica.com/66-main.html

Navajo County の中では比較的大きな街で、Route 66 沿いにある。
古くから Hopi と Navajo が住み、それを囲む牛の牧場の Trading Center として大きくなり、
Beal’s Camel Road に平行して走る Santa Fe 鉄道の分岐点として 1880 年に街が出来、
1881 年に鉄道の駅が出来た。
記録によれば駅は “ Doc “ F.C. Demerest が始めたテントビジネスから始まったとされる。
後に J.H.Bread が石のビルを建て、郵便局が 1882 年 1 月 10 日に出来、街は次第に大きくなっていった。


古い Route 66
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新しい Route 66
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鉄道全盛期の頃にはこんな立派な転車台もあった。
Museum に飾られていた写真
2015年6月撮影

街の名前は、
古い Atlantic and Pacific Railroad の半分を所有していた
St.Louis and San Francisco Rail Road の社長 Edward F. Winslow から、
もしくは地域住民で成功者 Tom Winslow から取られたとする 2 説がある。


2015年6月撮影



2015年6月撮影



街中の案内板
2013年9月撮影



歓迎ムードいっぱいの Winslow。
2015年6月撮影



Main Street
2016年11月撮影

1926 年に街の Main Street を貫いて通る Route 66 が開通したが、
全盛期の頃は通行量も多く、ひどい渋滞になったので、
1951 年に道を分け、2nd St. を 3rd St. にして西向きの Route 66 に、
2nd St. を東向きの Route 66 の一方通行とした。
1977 年以降 I-40 のバイパス化で、少し筒寂れていくが、
20 世紀末からの Eagles の 1972 年のヒット曲 “ Take It Easy “ での街興しに成功。
再び認識されるようになり、
今も “ Standing on the Corner “ には毎年多くの訪問者が訪れる。




<<Winslow Residential Historic District>>
the National Register of Hstoric Places に指定。




<<Hopi>>
Winslow 近くには Hopi の人達が多く住み、
彼らの祭り 8 月の “ Snake Dance “ ( 口の中にいる蛇 ) は有名。



Hopi の名前は “ 平和な物 “を意味する Hopituh Shi-nu-mu から来ている。
The Little Colorado River の北の土地を支配していた The Navajo は主たる部族で、
U.S.Army は彼らを征服する為に 1851 年に Fort Defence ( 防衛砦 ) を確立。
Navajo は 1868 年に沈静化され、New Mexico と Arizona に Navajo と Hopi に広い保留地が割り当てられた。


<<Honeymoon Trail>>
Mormon の入植者達は Arizona に寺院がなかったので、結婚するために Utah へと戻らなければならなかった。
彼らは Winslow そばの Sunset Crossing のある the Colorado River を Lee’s Ferry で渡り、
“ Mormon Wagon Road “ を使って Utah に戻ったが、
この道を 1934 年 Arizona の歴史家 Will Barnes が “ Honeymoon Trail “ と名付けた。


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Leupp Corner ; Arizona

<<<Leupp Corner>>>
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Leupp ( Loop と発音 ) Corner は Arizona Highway 99 と U.S.Route 66 の十字路の名前。
The Atlantic & Pacific Railroad ( 後の Atchison Topeka and Santa Fe Railroad ( AT & SF ) ) は、
1882 年に Arizona のここを通る線路を敷き、
Moqui と Dennison の駅が Leupp Corner の 3 mile 東と西に出来た。
Navajo と Hopi の保留地が Leupp Corner の真北にあり、Leupp の町が1 907 年 Navajo 保留地に出来た。

十字路は Leupp と Winslow を繋ぐ線路沿いの静かな場所だったが、
1926 年に Route 66 が開通し、旅人達の安定した流れをもたらすと、
The Hopi House Trading Post が 1940 年代に旅人達のニーズに答える為に作られた。
ここは Leupp の町への分岐点で、日系アメリカ人の第二次世界大戦抑留キャンプの残骸があった。


<<Hopi House Trading Post>>
画像はこちら

Leupp Corner に Ray Meany が 1941 年に建てた Trading Post。
建物は平屋でクラシックな Pueblo-Revival 様式で、
屋根は壁から突き出した柱で支えられている Native の Pueblo の建物では一般的な建物だった。

オーナーの Ray Meany ( 1906 年 〜 1987 年 ) は以前船乗りで、
後にハワイアン音楽、Aloha song の作曲家となり、400 曲以上の著作権を持ち、
the Golden Gate Publishers を運営し、Oakland CA でスチール・ギター教室を開いていた。
Hopi House Trading Post を 1955 年まで経営し、
Joseph City の Hubbell から “ Old Frontier “ の建物を購入し、
骨董品、石、Navajo のバスケット、陶器、純正の Indian Jelwery やラグを扱うだけでなく、
モーテル、トレイラーパーク、Texaco ガソリンスタンド、カフェもやっていて、ビールやワインも飲めた。
Rittenhouse は 1946 年のガイドブックで、
「 地域でたったひとつの建物で、かなりの在庫を持っていて、
いくつかの Navajoのhogan ( 典型的な Native の家 ) が近くにあり、
” Winslow から 10 分の Navajo と Hopi の保留地のメインエントランス “ にある」 と書いていた。

1955 年に妻の Ella Blackwell と離婚すると、
Joseph City の the Frontier Trading Post を Ray が所有していたが、
離婚の同意の一部として、Ella がそれを受け継ぎ、
彼女が Joseph City の Ella’s Last Frontier Trading Post のオーナーとなった。
Ray は Hopi House Trading Post の運営を続けたが、
後に Armand Ortega に売り、その収入で California にモーテルを買った。
Trading Post は 1970 年代末に I-40 でバイパス化されるまで運営していたが、クローズし、
今はその土台の残骸が藪の中に点在しているだけ。


<<Leupp>>
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Leupp Corner から AZ-99 で北へ 18.8 mile 行った小さな町で、
Navajo Nation Reservation の中にある。
町は the Bureau of Indian Affairs ( B.I.A. インディアン事務局 ) が、
約 500 人の Navajo の子供たちの為に寄宿学校をオープンした 1907 年頃
the Little Colorado River に合流する the San Francisco Wash の近くに出来た町。

Leupp と言う名前は、
当時 ( 1905 年 〜 1908 年 ) Indian Affairs の the U.S. Commissioner だった Francis E. Leup から取られた。
町は今 “ Old Leupp “ として知られており、
Old Town には 1920 年代に赤い砂岩で建てられた学校、行政棟、長老教会、数軒の住居、給水塔、風車 ( これらの 2 つは今だ存在 ) があった。
後に洪水から穀物を守るために the Civilian Conservation Corps ( 民間保全団体 ) が作った堤防もある。
学校は時に氾濫する場所にあったので、1942 年の初めに閉校となった。
New Town は約 2 mile 北西の the little Colorado River の西の堤の上にあり、
町には今も B.I.A. 寄宿学校 Leupp Schools,Inc がある。


<<Leupp Isolation Center ( 隔離センター )>>
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第二次世界大戦中の日系アメリカ人の抑留キャンプで、America 政府は第二次世界大戦中、
廃墟となった Bureau of Indian Affairs の寄宿学校を、日系アメリカ人抑留のために利用した。
Utah 州の The Moab “ Isolation Center “ や Manzanar キャンプからの受刑者も来て、
これらの人々は America への違反者もしくは不道徳な市民だと思われていた ( 彼らの祖先は日本人故 )。
1943 年中に 41 人が Leupp へと移動させられ、
戦時中 80 名の日系 America 人が Tule Lake 他のキャンプへと移動させられるまで施設に入れられていた。
ここは合衆国内務省に戻る 1944 年まで開いていたが、受刑者はいないままだった。


<<Moqui>>
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Moqui もしくは Moki は Hopi の人々に与えられた名前で、
彼らの言葉で “ 死 “ を意味するが、
おそらく隣 のthe Keresan 語を話す Pueblo の人達から適用されたのかもしれない。
この名前は 1583 年に “ Mohace “ と “ Mohoce “ として Espejo により、
また “ Mohoqui “ として 159 年に Onate により記録されていた。
Winslow から 8 mile の Moqui は地図上に町として記載されているが、
実際には幾つかの黄色の板の小屋が鉄道の側にあるだけだった。


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Mariko Kusakabe

Author:Mariko Kusakabe
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ここで何かを感じていただきたい。

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