FC2ブログ

McLain Rogers Park ; Clinton Oklahoma

<<McLain Rogers Park>>
on Route 66 at the intersection of S. 10th St. and Bess Rogers Dr.
1934 年 〜 1937 年
Wikipedia はこちら
関連 Website はこちら&こちら



Clinton City Park として知られている公園で、
1934 年から数年かけて、ニューディール政策によって資金提供された複数のプロジェクト ( the Federal Emergency Relief Administration ( 連邦緊急救援局 )、the Civil Works Administration ( 土木工事局 )、the Works Progress Administration ( 労働推進局 ) ) により開発され、Clinton の失業者の雇用目的で作られた。
名前は Clinton 市長から取られており、
東側の Route 66 沿いにあるアールデコのお洒落なゲート には ” McLain Rogers Park “ とネオンサインがある。
このゲートは WPA の傑作と言われており、いまだに夜にはネオンサインの明かりが灯る。


Route 66 沿いの正面ゲート
2019年12月撮影

緑豊かな公園内には 3 つのパビリオン、数カ所のピクニックエリア、子供用の遊び場、オリンピックサイズのスイミングプール、ウオータースライダー、18 ホールのミニチュアゴルフコース、テニスコート、野球場、などがあり、
又 Route 66 沿いの交通を取り締まる為にハイウエイパトロールのビルが 1941 年に追加された。

公園内で最も注目すべきは 400 席の屋外円形劇場 ( amphitheaters ) で、
Oklahoma でこの類で残っているのは 2 箇所だけ。
この円形劇場は全盛期には多くの Route 66 の旅人たちが利用したが、
今も夏場に地元のタレントやブロードウエイスタイルのプロダクションがパフォーマンスを行っている。
長年にわたってほとんど変っておらず、建物や構造物の多くは公園の初期の時代のもの。


北側の裏ゲート
2019年12月撮影

公園は 1934 年から 1942 年までの Clinton のレクリエーションと経済の発展において、
またニューディールの影響を反映した統一されたデザインで重要視されている。
2004 年に the National Register of Historic Places に指定された。


facebook page  “ 愛しきRoute 66 ( Route 66 on My Mind ) “
facebook group “ 愛しき Route 66 ( Route 66 on My Mind ) “
Pinterest  “ Route 66 “
スポンサーサイト



Clinton Armory ; Clinton Oklahoma

<<Clinton Armory>>
723 S 13th St, Clinton, OK ( Clinton に関してはこちら )
1935 年 〜 1937 年
facebook はこちら
関連 Website はこちら





2019年12月撮影



2019年12月撮影



2019年12月撮影

WPA ( The Works Progress Administration ) が 1935 年 〜 1937 年に建てた武器庫。
大恐慌中に Oklahoma で建てられたいくつかの武器庫の一つで、
設計は Bryan W. Nolan。
典型的な WPA のアールデコ様式。
中央入口は Opal Ave. を挟んで広い “ McLain Rogers Park “ の北にある。

1 階建てのレンガのビルで、細かい所はコンクリート。
武器庫の南側部分はオフィスや倉庫に使用されていた。
正面玄関は、幅広のレンガの柱に囲まれたサイドライト付きのガラス扉があり、
キャストコンクリートで囲われ、鉄骨フレームの各窓は、レンガの柱で区切られている。
建物の西側には、1980 年代に鋼鉄に置き換えられた 4 つの頭上の車両ドアがある。
Weatherford Armory と良く似ている ( Chandler Armory はレンガではなくすべて石で作られている。)

現在はバスケットボールコートが設置され、若者のバスケットボールの試合に使用されている。
1994 年に the National Register of Historic Places に指定された。


facebook page  “ 愛しきRoute 66 ( Route 66 on My Mind ) “
facebook group “ 愛しき Route 66 ( Route 66 on My Mind ) “
Pinterest  “ Route 66 “

Route 66 Museum ; Clinton Oklahoma

<<Route 66 Museum>>
2229 W Gary Blvd, Clinton, OK ( Clinton に関してはこちら )
1995 年 〜
Website はこちら
関連 Website はこちら&こちら
facebook はこちら





2014年10月撮影

Oklahoma Historical Society が運営する国内初の公式な州立 Museum で、
輸送と Route 66 の歴史にフォーカスしており、
Route 沿いから集めたコレクションで American スピリットを感じる旅を体験できる施設。
町最大のアトラクションで、世界中から毎年数万人の人々が訪れる。
内容、展示方法、インテリア、全て完璧と言える最も充実した Museum。


入り口近くに立つ Will Rogers Highway のマーカー
2019年9月撮影



入り口入ってすぐのスペース
2019年9月撮影

それぞれの展示室は、
テーマに沿って Oklahoma 出身の Woody Guthrie の “ Will Rogers Highway “ や Eagles の” Hotel California “ のような伝説的な音楽が取りいれられており、
其の時代の音楽に浸りながら、
順路に沿って、道路建設、交通、宿泊、レストラン、ガレージ、骨董品店、アトラクション、その他の物、絵、ビデオにより、10 年ごとの Route 66 の歴史と文化を体験できる。

時に Route 66 上にフォーカスした特別な展示を変えている。
“ Curio “ ギフトショップも充実。
入場料とギフトショップの収益は日々の運営とプログラムの支援に使われる。


2014年10月撮影



道路建設
2014年10月撮影



戦後 The U.S.Highway 66 Association を復活させ、
“ Main Street of America “ のプロモートをした Cutberth ご夫妻の写真と説明板
2014年10月撮影



" Route 66 の父 “ Cyrus Avery の道
2014年10月撮影



車時代に突入
2014年10月撮影



1930 年代、大恐慌、ダストボウル (砂嵐)、New Deal の時代
2014年10月撮影



King of the Road
2014年10月撮影



2014年10月撮影



1970 年代にはヒッピー達が Route 66 で移動。
2014年10月撮影











<<Valentine Diner at Route 66 Museum>>

復元された Valentine Diner が Museum のすぐ横に設置されている。


2014年10月撮影

これはかつて Texas の Shamrock にあった “ Porter House Café “ で、
1956 年にオープンし、1964 年にクローズした。
オーナーはそれを裏庭に移し、38 年間雨ざらしのままそこに置きっぱなしにしていたが、
営業中の備品はそのままで、
2002 年に復元され、Clinton に移された。
市久慈はできないが、
Museum の特別なイベントではルートビールとムーンパイをここで出している。


<<Valentine Diner>>

1938 年 〜 1972 年に Kansas の Wichita の the Valentine Manufacturing Company が製造した簡易式の小さなレストラン。
ほんの $ 5000 でカタログ注文でき、数千軒の Diner を販売した。
グリル、カウンター、8〜10 席の椅子が完備されており、
たった 1〜2 人で 24 時間営業も可能で人気だった。
鉄道のフラットカーにフィットするように作られており、鉄道で国内中に運ばれ、
Route 66 沿いでも数箇所がオープンしていたが、
今は数軒が廃墟として残っているだけ。
Valentine Diner に関してはこちら


facebook page  “ 愛しきRoute 66 ( Route 66 on My Mind ) “
facebook group “ 愛しき Route 66 ( Route 66 on My Mind ) “
Pinterest  “ Route 66 “

Clinton ; Oklahoma

<<<Clinton>>>
Website はこちら
Wikipedia はこちら
関連 Website はこちら&こちら



Custer 郡の街で、
街は Washita River 沿いにあり、郡庁所在地 Arapaho の 4 mile 南。
そこは南へ行く “ Frisco “ 鉄道と西へ走る Rock Island Railway との鉄道の交差点“で、
Washita Junction “ と名付けられていた。
又 I-40 と Highway 183 の交差点に位置し、
Route 66 がダウンタウンのビジネス地区を真っ直ぐに走っているので、
" Hub City of Western Oklahoma " と呼ばれる。
農業 ( 綿花ととうもろこし ) が基盤で成長してきた町で、今も農業と牧場が基盤となっている。


2016年6月撮影


old Route 66 の街並み
2016年6月撮影

Oklahoma は 1 万年以上前から人が住んでいたが、
ヨーロッパ系 America 人が入植するようになり、
以前に住んでいた Indian 部族は合衆国政府の政策に翻弄されてきた土地だった。

1820 年代から政府は東部の彼らの以前の領地と引き換えに、Indian に土地を与え、
彼らを西へと追いやり、Indian テリトリーを作り、そこに居留地を設立した。
しかし土地の需要の増加で政策を変更。
1887 年の Dawes 法は Native 達を同化させることを定め、
1891 年保留地を解散させ、部族のメンバーそれぞれに 160 エーカー( 0.6 平方 km ) の土地を与え、
余った部族の土地は将来の入植の為に政府が購入した。

今の Clinton の土地は 1892 年の Land Run の前に、
Cheyenne-Arapaho の部族の人たちに割り当てられ、4 人の Cheyenne が所有していた。

1899 年に J.L.vant と E.E.Blake の二人が Washita River Valley に町を作ることを決めたが、
それは簡単なことではなかった。
土地は Indian 所有で、連邦政府は Indian は議会の承認を得て初めて各自の土地の半分を販売できるとしていた。
二人は 4 人の Indian ( Hays、Shoe-Boy、Nowahy、Night Killer ) それぞれから、
80 エーカー ( 32 万平方 km ) 毎に $ 2000 を支払って購入。
Washita Junction に 320 エーカー ( 1.3 平方 km ) の小さな集落を作る計画を立てた。
近くの Arapoho の住民は Washita Junction との競争を恐れたために問題を法廷に持ち込んだが敗北。
土地購入の承認を得られなかった。

が数年後の 1902 年に議会で売却承認が認められ、Washita Townsite Comapy が購入。
1903 年から販売を始め、Washita Junction が急速に発展し始めた。
最初に新聞社 the Custer County Chronicle のオフィスと the First National Bank のビルができた。
同年郵便局が開局。
郵便局は Washita Junction の名前をつけず、故 Clinton Irwin 裁判官にちなんで Clinton になった。( 彼は新しい町となる場所に対し、Arapoho の町が起こした訴訟を破った裁判官 )。


from EZ 66 GUIDE by Jerry McClanahan

the Frisco Railroad and Rock Island が敷設されると、街は東の終点として地域の重要な配送センターとなり、
又 Western Railroad Company が Texas の西の Hemphill County へと路線を敷き、
Hemphill County のかつての第二の鉄道 the Clinton-Oklahoma-Western Railroad Company of Texas も
Texas の Gray County の Pampa で合流する路線を敷いた。
これらの両会社はすぐに the Panhandle and Santa Fe Railway が借り入れた後購入。
1965 年の廃止までそれを保持した。
1926 年に Route 66 が開通すると、その恩恵を受け、
Pop Hicks Restaurant などのレストランやカフェ、モーテル、ガソリンスタンド等を含む観光事業の拠点となった。


Courtesy of Kathy Weiser,Legends of America.
http://www.legendsofamerica.com/66-main.html

The U.S.Highway 66 Association が Tulsa に 927 年に設立されたが、
第二次世界大戦のゴムと燃料の配給でレジャー旅行は減少。
しかし戦後 Jack & Gladys Cutberth が Clinton で組織を復活させ、
Clinton は 1947 年から 1980 年代に解散するまで “ Main Street of America “ のプロモートをした。


Route 66 Museum 内に展示されている Jack & Gladys Cutberth の写真と説明板

1942 年、連邦政府は近くの Burns Flat に、海軍飛行場 Naval Air Station Clinton を建設。
地域にさらなる繁栄をもたらし、第二次世界大戦中 Clinton の人口は約 7000 人になったが、
1949 年には無効となり、国の緊急事態が発生した場合に土地を取り戻すことができることを条件に、
Clinton 市に譲渡された。
そしてわずか 5 年で政府はこの場所をリースし直し、
4123 Strategic Wing、それから70th Bombardment Wing、Heavy of the Strategic Air Command ( SAC ) のサポートし、B-52 Stratofortress と KC-135 Stratotanker を運営する爆撃機基地 ( Clinton-Sherman Air Force Base) として利用。
更に土地を購入し、すぐに 3500 エーカー ( 14 平方 m ) 以上に拡大。
米国海軍と空軍の訓練用の空港として利用した。

軍運営が重視されなくなった時、基地は 1969 年に閉鎖となり、
1971 年に施設全体が Clinton 市に譲渡され、3 年後に the Clinton-Sherman Industrial Airpark となった。
Clinton は一時第二次世界大戦後、ほぼ 30 年間運営されていた the National Highway 66 Association の本部だった。
1980 年代に解散したが、Clinton にMother Road への強い関心を植え付け、
1995 年に Clinton が国内初の州立 Route 66 Museum を設立した。
今日 1971 年に町をバイパス化した I-40 が開通。
Clinton を抜ける old Route 66 の大部分は I-40 Business Loop として指定されており、
Clinton は Oklahoma City と Texas の Amarillo 間最大の Route 66 上の町の一つとして、
旅人たちが立ち寄る人気の場所となっている。

Clinton には発行部数 4500 の Rod Serfoss が編集する 6 日間の日刊新聞 the Clinton Daily News がある。
この新聞は 1927 年から現在まで継続的に発行されている。




<<Cheyenne & Arapaho>>
部族に関してはこちら
Cheyenne はもともと Minnesota の the Great Lakes 近くに住んでいたが、
1700 年代に the Great Plains へと移ってきた。

The Arapaho は Montana、Wyoming、South Dakota、Canada に住んでいた。
両国は平原で出会い、Texas から Montana に及ぶテリトリーの同盟を形成し、
伝統的な土地の完全性を保証する米国政府との条約 ( 1868 年 ) に署名した。
しかしヨーロッパの入植者達は彼らのテリトリーに侵入してきたことにより、対立が起き、
Arapaho に Kansas の Reservation を約束する第二条約が締結されたが、
彼らは Cheyenne と共に Oklahoma の保留地に移動することを選択した。


<<Cheyenne Arapaho Opening>>
350 万エーカーが 1892 年 4 月 19 日に合衆国政府により入植者たちに開かれた。
入植者達は以前の Arapaho-Cheyenne 居留地に住むために Oklahoma テリトリーに駆け込んだ。
が「オープン」の終了までに土地のほぼ 8 0% は未請求のままで、7600 人だけが定住した。


facebook page  “ 愛しきRoute 66 ( Route 66 on My Mind ) “
facebook group “ 愛しき Route 66 ( Route 66 on My Mind ) “
Pinterest  “ Route 66 “

Clinton の墓地 ; Oklahoma

<<Clinton 近郊の墓地>>
old Route 66 を西から来て、Clinton の町へ入る前に大きな墓地が 2 箇所ある。

<<Parkersburg Cemetery>>
on W Commerce Rd (Old 66 Frontage Rd) at N-2220 Rd, adjacent to I-40 Rte 66, Clinton.
1899 年 〜
関連 Website はこちら&こちら



墓地の近くの町, Parkersburg の墓地。
文化的な特徴を持つ墓地。


2019年9月撮影



2019年9月撮影


<<Clinton Cemetery>>
関連 Website はこちら&こちら



Clinton Cemetery Association が Clinton の町の未編入の村 Camptown に 1844 年 2 月 28 日に設立された。
地元の伝説によると、この墓地は、
土地所有者の許可を得て、見知らぬカウボーイがこの場所の近くに埋葬された時に始まったと伝えられている。


2019年12月撮影



2019年12月撮影



2019年9月撮影



2019年9月撮影



2019年9月撮影


<<墓地について>>

どんな小さな町でも墓地は必ずあります。
そして墓地はその町の歴史、住んでいた人たちの事を知る上で重要です。
町を訪れる時にはできるだけその町の墓地を訪れ、
できるだけ古い墓石を見つけるようにしています。

古い町の墓地の墓石は質素なものが多く、
もしくは墓石も無い場合や、粗末な手作りの木の十字架だったりする事も。
子供のお墓や生まれて数日、数ヶ月で亡くなったお墓などは涙が出てきます。
そんな所は開拓時代の苦しい貧しい生活を墓地が語ってくれているのです。


facebook page  “ 愛しきRoute 66 ( Route 66 on My Mind ) “
facebook group “ 愛しき Route 66 ( Route 66 on My Mind ) “
Pinterest  “ Route 66 “

ルート66 ポータルサイト「愛しきRoute66」 オープン!

Route 66 上のまちについての情報 Blog。
まちの名前は<<< >>>で、
名所や建物などは<< >>で表示。
お気づきの点等はご指摘ください。
Facebook group「愛しきRoute 66」

Illinois 州
Missouri 州
Kansas 州
Oklahoma 州
Texas 州
New Mexico 州
Arizona 州
California 州

Songs of " Route 66 "
Coloring Book Selling Places
Translation
プロフィール

Mariko Kusakabe

Author:Mariko Kusakabe
憧れのアメリカの象徴 Rout66。
走るごとに、その魅力に、その意味の深さに取り憑かれる。
Find on Route 66 what You Lost!
無くしたものが見つかる道。
ここで何かを感じていただきたい。

カレンダー
11 | 2019/12 | 01
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
カテゴリ
最近の記事
月別アーカイブ
最近のトラックバック
最近のコメント
リンク
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる