Acoma Curio Shop ; San Fidel New Mexico

<<Acoma Curio Shop>>
1090 State Rd 124, San Fidel, NM ( San Fidel に関してはこちら )
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1912 年に新しく州となった New Mexico のここらへ、
Lebanon からの移民が急激に増えた場所で、Lebanon 人の村が 1920 年頃にはおよそ 200 以上もあったほど。
彼らは特に交易の分野で実力を発揮する人たちが多かった。
その移民の先駆者だった Narcise Franci, Sr., が、最初に Seboyta 近くで村を作り、血縁者を呼び寄せていた。
Lebanon 人達には、村ごとに Lebanon 人達の業種が 1 つだけ許される暗黙の了解のルールがあり、
これは Leguna と Acoma の周りに点在して住む Lebanon 人達にとって重要なことだった。

そんな中、Narcise と一緒に住んでいた Abdoo Fidel は、
100 人ほどの村 Ballejos ( 今の San Fidel ) に移り、1916 年に小さな商売を始めた。
ローマ・カソリック信者の Fidel は New Mexico の田舎の文化的環境に良く溶け込み、
すぐにコミュニケーションを取るためにスペイン語を学び、
後に増え始めたアングロサクソン系の移民に対処するために英語も学んだ。

数年後には町の西の端にショップと家族との住居ともなる大きな adobe の建物を自分で設計して建て、
数年間は小さなショップをやっていた。
ここは 1926 年に Route 66 に置き換わったその道沿いとなり、
Fidel は地元の Native American 達の工芸品の卸を始めたが、
1937 年には日用雑貨の販売をやめ “the Acoma Curio Shop” を開いて骨董品の小売を始め、
元の建物にその営業を移した。扱っているものは時には疑わしいものもあったけれど、
地元の Acoma のアーテイストのものが主で、
中には有名なアーテイスト Lucy Lewis や MaryZ. Chino らの作品も扱っていた。
特にLucy の息子の Alvin Concho Lewis はよく知られた銀細工師で、時々はショップで働いていた。


2016年11月撮影

第二次世界大戦とそれに付随するガソリンの配給制で highway を走る旅人たちは減少し、
”the Curio Shop” は America の参戦後から 1942 に年頃まではショップを閉めていたが、
その後の数年間 the Standard Oil Company にリースし、ガソリンスタンドになっていた。
その後建物には色々なテナントが入ったが、
近年しばらくは Petzel と Trask が “ Gallery 66 “ と呼ばれるアートギャラリーをやっていたが、
今はクローズしている。


建物の前にある看板
2015年6月撮影



建物の前にある看板
2015年6月撮影

“The Acoma Curio Shop” は南西部の他の多くの adobe の建物とは違い、
偽の正面は 2 つの建築様式の非常に稀な融合で作られていた。
このような融合は Route 66 沿いの地域の建築では一般的であったが、
New Mexico では極めて異例で、
州内の Route 66 沿いに残るいくつかの田舎の骨董屋の一つであることをアピールするためになされていた。
金属の屋根の正面は道に面しており、4 つのシンプルな木の柱が支えている。
北側と西側は白の漆喰できれいに塗られているが、
東側の壁はほとんど adobe が見え、本来の建物が見る事ができる。


2016年11月撮影

建物は Lebanon からの移民とその商売の重要な歴史的建築として知られており、
南西部の他の多くの adobe のとは異なる 2 つの異なる建築様式の組み合わせは特に New Mexico では極めて異色で、その歴史的に高いレベルを保持し続け、
州内の Route 66 沿いに残るいくつかの田舎の珍しいショップの 1 つとして、
the National Register of Historic Places、そして US National History Landmark に指定されている。




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San Fidel : New Mexico

<<<San Fidel>>>
Cibola County
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McCartys から約 5 mile の San Jose River 沿いの小さなヒスパニックの村で、Laguna Pueblo への西の入り口。
1 万年以上前から New Mexico に人が住んでいた証となる前史の場所 Sandia Cave が近くにあり、
過去 700 年以上もの間 Pueblo の人たちが川の谷に住んで農業を営んでいた。

1821 年の独立後、Mexico は New Mexico を支配したが、
Mexico-America 戦争 ( 1846 年 〜 1848 年 ) で敗北後、America 領土となった地で、
Baltazar Jaramillo が 1868 年に入植し “La Vega de San Jose”(St. Joseph の草原) に居を構え、町が出来た。
ここは “Riconada” として知られていたが、1883 年の USGS の地図には San Jose として記載されている。
最初町は Ballejos と呼ばれ、1910 年にその名の郵便局 ( 〜 1919 年 ) も出来た。
その名前は 1919 年に地域の祭司によって聖者を讃えて San Fidel に変えられた。
Ballejos と Vallejos は Spain の姓である。


2016年11月撮影

Fidel は二人の聖人 Fidelis of Como ( 15 世紀 ) と St. Fidelis of Sigmaringen ( 1577 年 〜 1622 年) の Spain の名前。
Fidelis はラテン語で「忠実」とか「誠実」と言う意味。
1926 年 Gallup、Grants、Albuquerque を結ぶ “Old National Trails” に沿って Route 66 が開通し、
San Fidel を真っ直ぐに貫くと、町は発展していった。
Rittenhouse は 1946 年出版のガイドブックで、「カフェ、ガソリンスタンド、小さな修理工場、骨董品屋はあるが、キャビンや宿泊施設は無い。道沿いで Indian が土器を売っているが、the Acoma のは無いと。」と書いている。
昔はこの寂れた町にもたくさんのカフェや車関係のサービスがあった。
今だに修理工場、教会、学校、ギャラリーを兼ねたギフトショップがある。

今 San Fidel はゴーストタウンではなく、135 人ほどの住民がいるし、
1910 年以来ずっと続いている郵便局、Catholic Church School、St.Joseph’s Catholic Church、Acoma Curio Shop がある。


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Sky City Cultural Center & Haak'u Museum ; Acoma Pueblo New Mexico

<<Sky City Cultural Center & Haak'u Museum>>
Haaku Rd, Acoma Pueblo, NM ( Acoma Pueblo に関してはこちら )
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2015年6月撮影



入り口
2015年6月撮影



車はここまで。このバスに乗ってSky City へ。
2015年6月撮影

文化的な建築において優れた Museumで、
Acoma Pueblo “ Sky City “ の玄関口として、訪問者達の歓迎施設をも兼ねており、
北 America の最古で継続的に住民が住み、
the National Trust Historic Preservation により
28 番目の歴史的な場所として指定された New Mexico の文化的な遺産の重要な部分を担う役割を果たしている。
Acoma の歴史は又 Anasazi の人々の故郷としての重要な役割から、
地域と国中の Native American のコミュニテイと試金石として、
今だに生きている 13 世紀の Pueblo の創設からの南西部の物語でもある。


中には Acoma の素晴らしい文化や歴史を伝える展示が。
2015年6月撮影





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San Estevan Del Rey Mission Church ; Acoma Pueblo New Mexico

<<San Estevan Del Rey Mission Church>>
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1629 年から 1641 年の間 Juan Ramirez 神父の監督の元、
the San Estevan Del Rey Missio Church 建設を命令され、
レンガ、藁、砂岩、教会の壁の為の mesa への泥 2 万トン弱を、
柱用の松は 40 mile ( 64 km ) 以上離れた Mount Taylor から Acoma 達が運んだ。
6000 平方 feet ( 560 平方 m ) の教会には、60 feet ( 18 m ) の高さの木の柱が両脇にある祭壇、
クリスチャンであることと先住民の信念を表した赤と白のデザインの手彫りがある。

Acoma は彼らの祖先がこの建物を作った事を知っており、
これを文化的な宝と考え、守り続けてきた故、
1970 年に the National register of Historic Places に、
2007 年には National Trust Historic Site に指定された。
又非営利団体である the National Trust for Historic Preservation により、
特定されたそのランキングの中で唯一の Native American の場所である。
19 世紀に Acoma の人々は伝統的な生活の維持を試みている一方、
かつては拒絶した Spain の文化と宗教を受け入れた。
1880 年代までに鉄道により多くが入植し、pueblo の隔絶は終わった。


2015年6月撮影
聖地であるゆえ、教会内、そして正面にある墓地は撮影禁止。





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Sky City = Acoma Pueblo ; New Mexico

<<Sky City = Acoma Pueblo>>
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Route 66 上ではないが、地域の歴史の上で重要な場所で、ぜひとも訪れてほしい場所。
Native American の 4 つの村 ( Sky City、Acoma、Anzac、McCartys ) からなり、
その歴史ある土地は約 500 万エーカー ( 200 万ヘクタール ) あり、
村がこの土地の 10 % を保持し、Acoma Indian Reservation を作っている。
Acoma Pueblo 族は連邦政府にその存在を認められており、
Acoma Pueblo は National Historic Landmark に指定され、
2010 年の人口調査では 4989 人が Acoma として認識されている。


案内板
2015年6月撮影



途中の奇岩
2015年6月撮影

Pueblo の祖先は古代 Anasazi、Mogollon、その他の人々が下ってきた、と信じられており、
その影響は建築、農業様式、Acoma の芸術に見られる。
Anasazi は 13 世紀に気候の変化と社会的な動乱で故郷を見捨て、
少なくとも 2 世紀の間に Acoma へやってきた。
Acoma と言う名前は Pueblo の Kersan の方言で “白い岩の人々“ を意味し、
2000 年以上もの間地域を継続的に占め、
合衆国の中で最古の継続的に人が住み続けている村の一つ ( Hopi Pueblo も ) で、
紀元 1100 年から 1250 年の間にレンガの建物の the Acoma Pueblo が作られたと思われる。


Visitor Center から見たSky City
2015年6月撮影

Navajo や Apache の攻撃に対する防御の為に選ばれた 357 feet の砂岩の上に作られた Acoma Pueblo は、
Sky City として知られており、1200 年以上もの間守られてきた。
Pueblo へのアクセスは mesa の表面が険しく、難しいので、
砂岩に手で彫られた階段によってのみ登ることが出来た。
何世紀もの間 Acoma は the Rio San Jose River に近い村の灌漑の運河を使い、
Acoma Pueblo の下の渓谷で耕作をした。
彼らはまた交易でも活発で、近辺の Pueblo だけでなく、遠く離れた Aztec やMayan の人々とも交流していた。

Acoma に関する最初の記載は 1539 年で、
奴隷 Estevanico が Indian 以外で Acoma を最初に訪れ、Marcos de Niza にそれを報告している。
Pueblo は遠征隊 Francisco Vasquez de Coronade が、
1540 年に最初のヨーロッパ人として見つけた時にはすでに存在していて、
隊長の Hernando de Alvarado は ”高い岩の上に作られた村は今まで見た中で最強の一つで、
登るのが大変で、後悔した“、
”住民は強盗達で、国中から恐れられ、村は近づくのに険しい岩を登らねばならず、
唯一の入り口は手彫りで作られた約 300 段の階段で、頂上には大きい石と小さい石の壁があり、
彼らは見られること無く岩を落とすことができるので、村を襲う敵はいなかった。
頂上には多くのトウモロコシを貯蔵する部屋と、雪と水を貯める水槽があった。“と書いている。


丘の上はこのように。
2015年6月撮影

約 50 年後、Spain 王からの命令で Juan de Onate が New Mexico に侵入し、
Santa Fe の北約 25 mile にある以前 San Juan Pueblo と呼ばれた Ohkay Owingeh に本部を置き、
そこに住んでいた Tewa 部族を追い出し、
地域の他の Native American Pueblo を更に襲うためのベースとして利用した。

1598 年 12 月 Spain 兵の部隊は食料を探して Acoma にたどり着いた。
彼らは歓迎され、もてなされたが、次第に攻撃的になり、
冬を超すために部族に必要だった Acoma の貯蔵庫の穀物を要求し始めると、
Acoma は兵隊達を攻撃し、Juan de Onate の甥の指揮官 Juan de Zaldivar を含む 13 人を殺した。
その復讐として Onate は Acoma Pueblo を攻撃するために最高の兵士 70 人を派遣。
1599 年攻めてくる Spain 部隊に防御で Acoma は岩と矢の弾幕で迎え討ったが、
Spain 人達は小さな大砲を持ち上げ、村へと撃ち始めた。
戦いはそれから虐殺となり、終わった時には 800 人以上の Acoma の人たちが亡くなり、彼らの村は廃墟と化した。


丘の上からの景色。周囲は断崖絶壁。
2015年6月撮影

その後生き残った Acoma 達は Santo Domingo Pueblo ( 今 Kewa Pueblo として知られる ) へと移動させられ、
そこで 12 歳以上の全ての男性は 20 年間労働させられた。
戦える年齢の Acoma の多くの男性は片足を切断するように宣告された。
12 歳以下の生き残った子どもたちは親たちから離され、教育のために Spain の宣教師たちに与えられ、
女性だけでなく、そのほとんどは奴隷として売られた。
Onate は後に虐待の有罪判決を受け、New Mexico から追放され、Spain で余生を送った。
2000 人いた Acoma Pueblo の人々の生き残りはおよそ 250 人となり、
そこで彼らは再建設を始め、その時から継続して住んでおり、決して再び侵略されることはなかった。

1629 年 “gesture of peace ( 平和の表意 )”  として Indian をキリスト教に改宗させようと、
Spain 人達は FriarJuan Ramirez の指導の元、
教会、修道院、墓地を含む the San Esteban del Rey Mission を建て始めた。
建物の全材料 ( 土と石約 2 万トン ) は手で運ぶか mesa の険しい坂道を運んだ。
教会の 30 foot の柱は Mount Taylor と Kwashtima から 30 mile の道のりを運ばれ、ついに 1640 年に完成した。

Acoma の口頭伝説によると、Ramirez による教会建設は強制的で、
これらの宗教的政治的な権力の酷使はついに Pueblo の反乱となり、
1680 年 8 月 10 日、Pueblo の人達は入植者達に対し、復讐で立ち上がった。
部族は教会を襲い、33 人中の 22 人を殺したが、教会は壊さなかった。

Pueblo の人たちは再び 1692 年に Diego de Vargas に再び屈服を強制させられた。
Acoma は 1969 年に別の反乱に参加したが、1699 年に再び征服された。


器を焼く窯
2015年6月撮影



お土産用に売られているAcoma Indian の陶器
2015年6月撮影

今日 the san Esteban del Rey Mission 教会は New Mexico の 17 世紀初期のどの建築よりも優れている上に、
Spain 植民地の教会アート、初の螺旋階段、手彫りの横木、絵画の多数のコレクション等の最大の品を収蔵している。

The San Esteban del Rey Mission と Pueblo 自体は National Historic Landmark となり、
今日 Acoma の人々は祖先の伝統を続けている。
最初の Spain の住民達が到着した 1500 年代、大半がカソリックへと変わったが、
幾人かは過去の宗教を継続。長年記念日やお祭り等の宗教的で歴史的な催しが開催されている。
それを尊敬し、地元の手順を踏む訪問者達は参加を許されている。


Sky City のトイレ。
環境を配慮し、コンポスタイプで、木くずで処理する。
2015年6月撮影

今日 3000 人の Acoma の人たちの 50 人以下が pueblo に住んでいて、残りの住民は近くの村に住み、
Acoma Pueblo はその素晴らしい陶器、永久的な展示 One Thousand Years of Clay で知られており、
native の食べ物や工芸品のショップにに加えて mesa の 1 階にあるビジターセンターにある。
部族は又 the Acoma Route 66 Interpretive Center と Acoma Commercial Center を運営し、
新しい Acoma Lake 建設で釣りをも提供している。
3 月から 10 月までガイド付きのツアーでオープンしており、
入場料が必要で、ライセンスなしではカメラは許されない。






1920 年代 the All Indian Pueblo Council は 300 年以上もの間で始めて集まり、
Pueblo の土地で、適切な利権を議会に要求し、
合衆国議会を 1924 年に Pueblo Lands Act (法) が通過した。
彼らの土地の保持で成功を治めたが、Acoma の伝統を保存する試みは 20 世紀のには難しかった。
プロテスタントの宣教師たちは地域に学校を建て、the Bureau of Indian Affairs ( Indian 事務局 ) は、
Acoma の子どもたちを学校に通わせる事を強いたので、
1922 年村々からのほとんどの子どもたちは学校に通い、英語を使うことやキリスト教について学ぶことを強制された。数世代の家族や社会における辛い影響で、彼ら自身の文化や言葉から離れるようになった。


Acoma Headstart
Acomaの子どもたちの為の無償の教育機関
2015年6月撮影

今日住民が住む上の階に行くのに使われる屋外のはしごのある 2 階建て、3 階建てのレンガの建物が約 300 mesa に立っており、
およそ 30 人が mesa の上に永久的に住んでいるが、
週末には旅行者と訪れる家族で人口は増え、年間約 55000 人ほどの観光客が訪れる。
Acoma Pueblo には電気も水道も下水も無い。
保護は Mesa の周囲 600 平方 mile (1600 平方 km )。
部族の人たちは保存と屋外の両方で暮らしており、
近代の Acoma の文化は比較的クローズされて残っている。
Acoma 近くのこの地域の Route 66 にはいくつかの Trading post やガソリンスタンドが点在する。


階段代わりのはしご付きの家
2015年6月撮影








<<Acoma Pueblo = Sky City の見どころ>>
San Estevan Del Rey Mission Church
Sky City Cultural Center & Haak'u Museum



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プロフィール

Mariko Kusakabe

Author:Mariko Kusakabe
憧れのアメリカの象徴 Rout66。
走るごとに、その魅力に、その意味の深さに取り憑かれる。
Find on Route 66 what You Lost!
無くしたものが見つかる道。
ここで何かを感じていただきたい。

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